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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1687号 判決 1984年7月16日

控訴人 乙山春夫

右訴訟代理人弁護士 菅博

同 藤本昭

被控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 秋山泰雄

主文

原判決中、控訴人の敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次に付加・訂正するほかは、原判決事実欄の「第二 当事者の主張」に記載のとおり(ただし、原判決二丁裏四行目の「県中央警察署に赴き、同署の係官に対し」とあるのを「中央警察署に赴き同署司法警察員に対し」と改め、同五行目の「殴打され」のあとに「、」を付し、同六行目末尾の「。」を取り、同七行目末尾に「。」を付し、同一〇行目に「(以下「刑事被告事件」という。)」とあるのを削除し、同じ行に「同四八年」とあるのを「昭和四八年」と、同三丁表一行目に「昭和五一年」とあるのを「同五一年」とそれぞれ改め、同六行目の「証言した」のあとの「。」を取り、同七行目末尾に「。」を付し、同丁裏四行目、同四丁表六行目及び同丁裏八行目に「同四七年」とあるのを「昭和四七年」と、同六丁裏六行目に「足蹴りにし」とあるのを「足蹴にし」とそれぞれ改め、同九行目の「加え」のあと及び同一一行目の「認めるが」のあとに「、」を付する。)であるから、これを引用する。

1  原判決六丁表一〇行目のあとに行を変えて次のとおり付け加える。

「(2) 同1(一)(2)の事実は認める。」

2  同六丁表一一行目冒頭の「(2)」を「(3)」と改める。

三  《証拠関係省略》

理由

一  控訴人が昭和四七年八月九日医師太田茂から「顔面打撲症、右下腿打撲症、右下腿挫傷、左下腿打撲症、右疾患により全治二週間なり」との内容の診断書の交付を受けたうえ、静岡中央警察署に赴き同署司法警察員に対し、同日午前八時三〇分ころ、被控訴人から左顔面を殴打され、その結果右診断書記載の顔面打撲症を負わされた旨の告訴をした(以下「本件告訴」という。)ことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右告訴は右同日午後控訴人自身が口頭の方式によってしたものであることが認められる。また、控訴人が本件告訴にかかる被控訴人及び訴外梅田和司に対する傷害等被告事件の昭和四八年二月二一日第二回公判期日、同年三月二八日第三回公判期日及び同五一年八月二六日第二六回公判期日において、証人として、前記診断書記載の顔面打撲症は被控訴人らから顔面を殴打された結果である旨、同四七年八月九日に太田医師の診療を受ける前に静岡県立中央病院(以下「中央病院」という。)で受診した事実はない旨の証言をした(以下「本件証言」という。)ことは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、控訴人が本件告訴をするに至った経緯は、次のとおりであることが認められる。

1  本件告訴の当時、被控訴人と控訴人はいずれも静岡郵便局に勤務する郵政事務官であり、被控訴人は全逓信労働組合(以下「全逓」という。)静岡支部に所属し、同支部青年部常任委員をしていた。控訴人も、もとは右支部に所属していたが、全逓の活動方針には批判的な態度をとり、昭和四五年九月全逓東海地方本部が一斉休暇闘争をした際には、全逓の組合員である部下職員らをこれに参加しないよう指導したり、同四六年四月ほか一二名の組合員とともに全逓を脱退して、同年七月全日本郵政労働組合(以下「全郵政」という。)静岡郵便局支部を結成し、同年一〇月ころ同支部書記長に就任するなどしたため、被控訴人ら全逓所属の組合員から反感をもたれていた。

2  静岡郵便局では、全郵政支部が結成されて以来、全逓を脱退して全郵政に加入する者が次第に増えていった。そのため組織の弱体化を危惧した全逓の組合員らは、昭和四七年三月ころから同郵便局の庁舎及び構内において、全逓を脱退して全郵政に加入した者らに対し全逓へ復帰するよう説得活動をするようになったところ、これが次第に脱退の理由を問い質し、追及するなどの様相を呈するに至り、これを制止しようとする局の管理者や全郵政の役員らとの間にしばしば紛争を生じ、全逓組合員らが全郵政の役員らに対しいやがらせや暴行に及ぶことがあったことから、対抗上、全郵政はささいな暴行でも告訴する方針をとっていた。このような状況下において、同年五月三〇日午後五時すぎ全逓の組合員一〇数名が庁舎四階廊下において全郵政の組合員一名を取り囲んで説得追及活動をしていたところ、これを制止しようとした控訴人ほか二名の全郵政の役員との間に紛争を生じ、控訴人らは、その際、全逓静岡支部副支部長丙川夏夫らから暴行、傷害を受けたとして、同年六月三〇日、静岡中央警察署司法警察員に同人らを告訴し、同年八月八日、右丙川ら八名の全逓組合員が右傷害の嫌疑で逮捕された。

3  これを知って、被控訴人ら全逓組合員は控訴人に強い憤りの念を抱いた。そして、翌九日の朝、出勤してきた控訴人を通用門付近でビラ配りをしていた全逓組合員が「馬鹿野郎」などと罵り、庁舎内の二階への階段を昇るところを「裏切り者」などと罵りながら二人の組合員がつきまとい、三階への階段の途中で進路を妨害した。そして、騒ぎを聞きつけて集まった他の全逓組合員らもこれに加わって控訴人を取り囲み、口々に「馬鹿野郎」、「裏切り者」などと罵声を浴びせた。控訴人は、取り囲まれたまま、よろけるようにして階段を降り、二階郵便課事務室出入口前にしゃがみ込んだりしながら、やむなく同室内の郵便物取揃台まで至ったところ、同午前八時三〇分ころ全逓組合員らは、控訴人を取り囲むなかで「馬鹿野郎」、「裏切り者」などと罵声を浴びせながら、控訴人の顔面などに唾をはきかけ、下腿を蹴りつけ、手拳で顔面を殴打するなどの暴行を加え、被控訴人もこのなかにあって、右暴行に加わった。

4  そこで、控訴人は、全逓組合員らによる右暴行につき本件告訴に及んだものである。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

三  次に、上記認定の事実並びに《証拠省略》によれば、本件告訴後の経過として、次の事実が認められる。

1  本件告訴を端緒として、告訴事実につき捜査機関による捜査が行われ、被控訴人は逮捕、勾留されたうえ、昭和四七年八月二七日、ほかの全逓組合員らと共謀のうえ、同月九日午前八時三〇分ころ静岡市黒金町一番所在の静岡郵便局庁舎二階郵便課事務室において、右全逓組合員らとともに、控訴人をとり囲み、口々に「裏切り者」、「馬鹿野郎」、「死んじまえ」などと罵声をあびせながら、控訴人の顔面、頭部等に唾、痰を浴びせかけ、両下腿を蹴りつけ、手拳、手掌で顔面、胸部を殴打するなどの暴行を加え、もって前記丙川夏夫らに対する傷害被疑事件の被害者であって右事件の捜査に必要な知識を有する控訴人に対し威迫の行為をし、右暴行により全治二週間を要する顔面打撲症、右下腿挫傷、左下腿打撲症の傷害を負わせた、との事実につき起訴された。そして、右公訴事実のうち傷害の点を立証する証拠として、本件告訴の際、控訴人から捜査機関に提出された太田医師診断書(昭和四七年八月九日付、作成者・医師太田茂、病名・顔面打撲症、右下腿挫傷、左下腿打撲症、附記・右疾患により全治二週間なり、との記載がある。)が検察側から公判廷に提出された。また、前記のとおり、控訴人は、右刑事被告事件の公判廷に証人として出廷し、右太田医師診断書に記載の傷害は、被控訴人を含む全逓組合員から暴行を受けた際に生じたものである旨の本件証言をした。

2  ところが、公判手続の進行中、別件の刑事被告事件(前記丙川夏夫らによる傷害事件に関するもの)に関する調査をしていた弁護士により、偶然に中央病院の控訴人に関するカルテ(診療録)中に控訴人が本件告訴にかかる暴行事件のあった昭和四七年八月九日同病院で医師の診察を受けており、そのときの控訴人の症状として「左頬骨部に多少圧痛があるが、皮下出血なし。右下腿に擦過傷、圧痛があり、内出血、血腫なし。予後三日。」との記載があることが発見されたところ、右記載が前記太田医師診断書の記載と食い違っているため、公判手続では、この点が争点の一つとされ、右カルテはもとより、太田外科医院の控訴人に関するカルテ、中央病院の笹井義男、小塚勝久の両医師及び太田外科医院の太田茂医師についての証拠調が実施された。その結果、控訴人は、本件告訴にかかる暴行事件のあった昭和四七年八月九日の午後二時ころ静岡市内の太田外科医院を訪れ、太田医師の診察を受けたこと、また、訪れた時刻等の具体的状況は明らかではないが、中央病院のカルテの記載によると、控訴人は、同じ日に中央病院でも小塚医師の診察を受けていること、ところが、両医師の各診断結果を比較対照すると、控訴人の受傷の部位・程度にはかなりの相違があること、すなわち、(1)顔面打撲症について、太田医師は「左頬骨のところが鵞卵大、長径九センチメートル位に腫れ、発赤があり、圧痛がある。」としたのに対し、小塚医師は「左頬部に軽度の圧痛があるが、皮下出血や発赤は認められない。」と、(2)右下腿挫傷について、太田医師は「右下腿の前面、脛の中央部に長さ約三センチメートルの軽い皮膚の裂傷があり、そのまわりが赤く腫れていて血がにじんでいた。」としたのに対し、小塚医師は「右下腿前面に圧痛を伴う擦過傷があるが、あまり著名なものではなく、血腫や皮下出血はない。」と、(3)左下腿打撲症について、太田医師は「左下腿の前面、脛全体に軽い腫れと圧痛が認められた。」としたのに対し、小塚医師の所見はなく、(4)総合所見について、太田医師は「全治二週間」としたのに対し、小塚医師は「日常生活に支障がなくなる期間という意味での予後三日」と診断したことが明らかとなった。しかし、その間、控訴人は、公判廷において証人として、本件告訴にかかる暴行事件のあった日中央病院で診察を受けたことについては、「中央病院で診察を受けたことはないと思う。」とか、「診察を受けた記憶がない。」など、終始これを否定する趣旨の証言を繰り返した。

3  裁判所は、審理を遂げたうえ、前記公訴事実のうち、被控訴人が手拳で控訴人の顔面を殴打したとの趣旨の部分及び控訴人が暴行の結果これに示されている傷害を受けたという部分を除いて、ほぼ公訴事実どおりの事実を認定し、これにつき被控訴人を暴行罪及び証人威迫罪につき有罪として罰金四万五、〇〇〇円に処する旨の判決言渡をした。そして、被控訴人による右顔面殴打の点については、これに符合する証拠としては控訴人の証言しかなく、その供述内容には疑問があるとして、これを認めず、また右傷害の点については、笹井、小塚両医師の公判廷における供述に照らすと、控訴人の受傷の部位・程度に関する前記太田医師と小塚医師との診断の差異は単なる時間的経過によるものともいい切れないこと、中央病院のカルテには、本件告訴にかかる暴行事件のあった日控訴人が同病院で診察を受けたことになっているのに、控訴人はその記憶がないというだけで、その間の経緯事情を説明するものがないことなどから、太田医師の診断結果の傷害を前記暴行と因果関係ある傷害と認定するには合理的疑いを払拭し切れないとして、これを認めなかった。そして、さらに、そうとすれば、小塚医師の右診断の限度での傷害を認定できるかの点についても、控訴人が太田医師の診断どおりの傷害を主張して、中央病院での受診に基づく傷害について証言をしない以上、控訴人が前記暴行により小塚医師の診断の限度での傷害を負ったことを認定することはできない旨を判示した。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

四  ところで、被控訴人は、被控訴人において本件告訴にかかる暴行、傷害に及んだことはない旨主張するが、被控訴人が他の全逓組合員らと共謀のうえ、控訴人に対し右暴行に及び、これにつき有罪の判決言渡まで受けていることは前述したとおりである。

もっとも、《証拠省略》によれば、控訴人は捜査官に対し、全逓の組合員らによって唾をはきかけられ、足蹴にされるなどしていたとき、被控訴人が右手のげんこつで左頬を一回殴ってきた旨を述べたことが認められ、前記刑事被告事件の公判廷においても、証人としてこれと同趣旨の証言をしたが、前記刑事判決においては、裁判所は、控訴人の右供述内容には疑問があり、ほかにこれを裏付ける証拠がないとして、右証言を採用せず、被控訴人による顔面殴打の事実を認定しなかったことは前述したとおりである。しかしながら、控訴人の右証言は、供述全体との関係で信用性に疑問があるにしても、これが明らかに客観的事実に反するとまでは断言し得ないし、ましてや控訴人が右供述内容が事実に反するものであることを認識しながら、あえて右のような証言をしたことについてはこれを認めるに足りる証拠はない。

また、前記刑事判決において、裁判所は太田医師の診断結果の傷害を本件告訴にかかる暴行と因果関係ある傷害と認定するには合理的疑いを払拭し切れないとして、公断事実のうち、傷害の点を認定しなかったことも前述したとおりである。しかしながら、前記太田医師と小塚医師の各診断結果を比較対照すると、顔面打撲症及び右下腿挫傷の点については、いずれの診断結果によってもその部位は同一であり、症状の程度に差異があるにすぎないこと、してみると、この差異は、両医師の診断した時点が異なっていること、各医師の所見の相違及びカルテへ記載する際の文章表現などによって生じたとみることも十分に可能である。また左下腿打撲症の点については、小塚医師の所見はないが、太田医師の診断によっても、この点の傷害は比較的軽度のものであり、診察の際、患者からとくに訴えがなければ、見過ごされる類いのものである。このようにみてくると、笹井、小塚両医師の所見や、前述の刑事手続並びに本件原審及び当審を通じて、控訴人が本件告訴にかかる暴行事件のあった日に中央病院で受診したことを否定する趣旨の供述をしていることとの関係で、太田、小塚両医師の診断結果の差異は、診断した時点等が異なることから生じたものと断定するにはなお問題があるにしても、そのようにみる余地も多分にあり、右両診断に顕れた傷害が別個のものとするには本件告訴にかかる暴行事件のあった日、控訴人が再度傷害を負う機会に遭遇したか(この場合、傷害の部位が同一ということは通常あり得ない。)、控訴人があえて自傷行為に及んだか、それとも太田医師に働きかけて実際に相違する診断をさせたかなどの事実が存しなければならないはずであるところ、これらはいずれも極めて不自然な事柄であり、かような事実の存在をうかがわせるに足りる証拠はない。してみると、控訴人の捜査機関に対する申告及び公判廷での証言のうち、前記傷害に関する部分は、あながち事実に反するものとはいい難く、ほかにこれが事実に反することを認めるに足りる証拠はない。

次に、前記中央病院の控訴人に関するカルテの記載内容に照らせば、本件告訴にかかる暴行事件のあった日、控訴人が中央病院で受診したことは明らかであるところ、控訴人が、前記刑事被告事件の公判廷で証人として尋問を受けた際、この点につき「中央病院で診察を受けたことはないと思う。」とか、「診察を受けた記憶がない。」など、終始、これを否定する趣旨の証言を繰り返したことは前述のとおりである。しかしながら、控訴人が右の証言を意識的にしたものかどうかは別として、前認定の刑事手続の経過に照らせば、右証言がそれだけで刑事手続上被控訴人にとって不利益な結果を招来したとはいい難く、かえって、控訴人が中央病院での受診に基づく傷害について証言をし、これと本件告訴にかかる暴行との因果関係を主張するにおいては、小塚医師の診断の限度での傷害を認定する余地もないではなかったことは前記刑事判決の説示するところである。

五  以上の次第であるから、本件告訴にかかる暴行、傷害の事実が存在せず、かつ、本件告訴及び本件証言が虚偽の事実に基づいてされたことを前提とする被控訴人の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので、失当としてこれを棄却すべきである。

よって、原判決中、被控訴人の請求の一部を認容した部分は失当であるからこれを取り消したうえ、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡垣學 裁判官 磯部喬 大塚一郎)

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